夫と二人で外食をした帰り道。
腹ごなしに歩いていた道で金木犀の香りがして深く息を吸い込んだら隣からもスンと鼻を鳴らすのが聞こえ目を見合わせて笑った瞬間、なんだか幸せだなあと思った。
金木犀だねえとだけ言って、そこからまったく別の話をしていたけど(たぶんプロ野球の話)言葉がなくとも同じものをよいと思っていることが感じられた。
金木犀に限らず同じものを好きだったり嫌いだったりするのはもともと持っている価値観が似ている部分もあるだろうし、一緒に過ごした時間の中で共有されたものでもあると思う。
彼と結婚し一緒に暮らし始めてからもうすぐ5年になるが、その間に彼はとっても変わったなあと思う。
たぶんわたしのことを想うがゆえに変わった部分も多く、それに対してわたしは彼のために何か変われただろうかと心苦しく思うのが常である。
夫はもともと全く料理をしなかったのに、この2,3年で調理という概念を得た。
数年前に冷凍コロッケを揚げたらなぜかから揚げのような見た目になったという彼が、つい最近は体調が悪いという私の帰宅に合わせて、身体があったまるようにとしょうがを使ったお鍋を作ってくれていた。
食べることは好きだが、食べられるものはなんでもおいしい(腐っていたりしなければok)というおいしさの閾値が低かった彼は、調味料を知らなかった。
そんな彼がいまやみりんや料理酒を使っているなんて、、、と感動さえ覚えるのである。
料理以外でも、わたしがこうしてほしいと思っているだろうなとかこうしたら喜ぶかなと思ってしてくれているであろう行動が伝わってきて、結婚当初はこんな風じゃなかったのに、と日々ありがたく感じている。
一緒に暮らし始めた頃は本当にけんかばかりしていたので、、、。
一方のわたしはというと、片付けが苦手で部屋を散らかしている点がおそらく一番迷惑をかけていて、その次はわたしが外出が多いので彼との時間をあまり共有できていないのが申し訳ないなあと思っている。
ほかにもいろいろあるだろうけど、嫌だと言われている部分が全く変わっていなくて申し訳ない。
今年はプロ野球を一緒に見るようになって、共通の趣味が増えたのはよかったなあと思う。
わたしが彼のために変わった部分を自分ではあまりわからないけど、でもわたしが彼がいなかったら辛いだろうなと感じる部分や、いてくれてよかったなと感じる瞬間と同じようなものが彼にもあればいいなと思う。
わたしは、なにかあったらすぐに死にたい、生きてさえいなければこんなに辛いことはないのに、と考えてしまうけどどうにか生きていけるのは母、兄姉、そして夫がわたしのことを大事にしてくれているからであって、そういう存在に報いなければいけないなあと思ってはいるのだけど。
行動が伴っているかはまた別の話で、、、。
とりとめもないけれど、最近感じたことを書き留めておきます。